happier!  

もっと楽しい明日にしよ♪

頑張っても頑張っても・・・

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誰もがすごく真面目で頑張り屋だなって思います。
好きな事もそうでない事でさえも自分の精一杯で頑張ってる。

 

私もずっとそうでした。
頑張ってる自分が好きだし、そうであるべき!ってね。

 

それは自分に対してはよく見える←アタリマエかw
でも人の頑張りって意外と見えなかったりします。

ベクトルが同じだとまだ見えるんだけど
少しでもズレてると違う事ばかり目につき頑張りは見えない。

 

相手から見ても頑張ってる私は
単に機嫌が悪いと取られてしまったりします。

無我夢中で取り組めることは幸せな事なんだけど
心から楽しんでる場合以外は周りから見ると怖く見える。


私が一心不乱に寝る間も休みも惜しんで
仕事をしていた頃・・・
空気がピリピリしていて、笑顔を作ってるんだけど
どうしてもイライラしてしまったりして・・・
事務所の人はなかなか近づいてこなかったなぁって思い出したw

 

心の中だけで思っていて顔に出さなくても←これは自信があるんだけどw
何でだろう。。。漠然と周りに伝わっているのですよね。

 

毒も溜まったら吐き出さないと!っていくら息抜きしても
また溜まってくるんだもん。
自分だけがひたすら頑張ってて
私の考えについてこれる人はいない!くらいの勢いでしたね。。。


でも、今の仕事で管理を任されたとき
そうじゃないって気が付いたのです。
当時はこんな本も読んでいました。

 

フィッシュ!―鮮度100%ぴちぴちオフィスのつくり方

フィッシュ!―鮮度100%ぴちぴちオフィスのつくり方

 

 


仕事の効率を上げたい!と思う時、何より大切なのは
誰もが求められる仕事を完璧にこなすことでも
周りの状況を察して素早い判断ができる事でもないんです。

 

何より活気ある雰囲気を作る事
楽しく仕事に取り組める環境を作る事
効率はあとからついてくるので目くじらを立てなくていい事

 

そこに気が付くまでの私はこんな間違いを冒していました。
自分の仕事は、いい仕事の動きを見せるお手本係で
こんなこと時間かからないでしょ?ほら!すぐできる!
なんてババババッっと片付けて・・・ね?ハイやって!ってやるw

 

これでは付いてきてもらえないんだなって分かったんです。

それまでその仕事をしてくれていた人に「遅いっ」てケチつけて
そうじゃないって指導して・・・
私がそうされたら、おそらく相当反発するはずです。
人は誰しも、人から動かされると感じる事はキライなんです。


ではどうすれば気持ちよく働けるか
見ててもらえる事
認めてもらえる事
方向を示してくれる事

たったこれだけです。

 

声をかける時は出来ているところを大袈裟に褒めちぎる
ちゃんと根拠も付けてしっかり褒めることが大切。

 

更にしてほしいことがある場合は
~してくれると嬉しい!とか助かるなー♪とか
命令形にならない配慮をする。

してもらったらまた大袈裟にほめまくる。


ほめる効能については別に書いています

 

happier-niko.hatenablog.com

 


管理者の仕事はみんなの頑張りを褒めちぎる事
様子を見てどんな言葉が喜ぶかな~♪なんて
楽しく考えたり、仕事を楽しむ雰囲気を盛り上げる
そんな仕事なんだと思います。

 

このゆるい雰囲気こそ、人が集まりやすい空気を作るのです。
余裕のある人は懐が深い感じがして安心感も大きい。


自分が従業員を一人一人リスペクトするように
こういうのは貴方だから任せたい!っていう姿勢を見せると
安心して働いてもらえる。


誰だってほめて欲しい願望はあるし
仕事で認められる喜びを感じたい
その思いをちゃんと見て強力にバックアップする仕事だと思っています。


ノセ上手な上司にフル活用された経験とかないですか?
私はありますよ。ヤラレターってその時は思うんですが
そのおかげで出来るようになったこともいっぱいw

 


まずは何より、自分がその仕事を楽しむことかな。
私は一旦離れられたので、そこに気が付けました。
そのまま渦中にいれば、きっと何も見えなくなってた。


仕事を一旦やめる時、後押しする言葉をくれた人には
感謝でいっぱいです。ありがとう。

本音って言えていますか?

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皆さんはいつも本音を言えていますか?

 

・その場を収めるため、本音は違うのに同調する

・言いたいことを我慢して繕う

・状況判断で話すので本音は言えない

 

周りとうまくやっていきたい!和やかな雰囲気を壊したくない!っていう優しい心はついつい本音が言えない環境を作ってしまう

 

こればかりしていたら・・・

どこでも本音が言えなかったら・・・

心にガッチリと蓋をしてばかりだと

心が死んでしまう

そのうち何が自分の本音なのかが分からなくなってしまうと思うんです


どんな人がそうなるの?

これって愛情深く繊細で察しのいい、更に我慢強い人が陥ってしまいがちだなぁって思います。


実はこうなってしまう切っ掛けって親との関係だったりします。最近は「毒親」なんて言葉も耳にしますよね。親との関係で悩みだす30代から40代以降の人が多いそうです

・幼少期、言いたい事が言えなかった

・見ててもらいたかったのに見てもらえない

・もっと褒めて欲しかった


こんな思いを忙しい親に言えずに育った人は他の人に対しても本音を言えなくなってしまう、そういうコミュニケーションを身に付けてしまうのです


私の場合は・・・

実は5年ほど前の自分の誕生日に、勇気を振り絞って親に感謝のメールを書きました。


「経済的にも苦しい中育ててくれてありがとう!ずっと(傷つけられた言葉)が嫌だったけど、それって私を守るのに必死だったんだよね」

 

そして言えなかったことを少しずつ話して自分の中で和解することができましたw

でも表面上で仲が悪いとか喧嘩してたとかじゃない。普通の親子だったとは思うんです。言ってなかっただけ、それだけなんです。

 

それをきっかけにあれこれ人との関わりが変わってきた。これってきっと私が変わったんだと思うんですよね。
我慢に我慢を重ねてきた家業から一旦離れ考える時間もできた。自分は本当はどうしたいのか「本音」が少しづつ見えるようになったんです。

 

そう!本音、実は見えていませんでした。自分がどうしたいかなんて考えても
夢は何ですか?なんて聞かれても

ただ、楽になりたい・・・・・

とか思ってた。こりゃ重症ですよね(;^_^A


まとめ

我慢してばかり・・・本音なんて言えない・・・
そんな人はぜひ、両親との関係をひも解いてみてください。
私の様に親に伝えてみるのが一番早いと思うのですが、言わなくてもいいんです。自分が本当はどう思っていたか

・構ってもらえなくてさみしかったんだな

・もっと褒めてもらいたかったんだな

・これ言うと怒るからずっと我慢してたよなー

なんていう思いを自分で思い出してみる。弱かった自分を「頑張ってたんだな」って認めてあげる。自分の本音にゆっくりと向き合ってみる

本音を言うのは初めは怖いけど、出していくと意外に・・・

「自分が心配していたほどではないなー」

なんて私は思いました(*´艸`*)

我慢し続ける毎日なんて苦しいだけで、幸せを感じにくくなってしまうので本音で生きる。


あ、本音って心にため込む恨み節じゃないですよ?

ま、それも本心ですがwww

その恨み節を作った本当の理由、ホントは自分はこう思ったのに!!の部分ね

嫌われたっていいし、共感が得られなくてもいい。でも自分はこうだって言ってみる。そうすれば心に蓋するよりずっと楽でいられるのです。


(オマケ)私の目指すところ

やわらかーい口調で、優し気な笑みで・・・言いたいことをどんどん言っちゃう(笑)
こんな人がいいなーって思っていますがいかがでしょう・・・コワイかな?w

恋を叶える・・・その先

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恋は一人でするもの
愛は二人で育むもの

恋した相手に言われた言葉を思い出す


確かに恋はひとりでするもの

 

恋なんていってみればぜんぶ片思い
そう思ってきた

 

恋は自分一人の感情で
たとえお互いに恋し合っていても
叶ったのではなく
より幸せな恋ってこと

 

二人はお互いを
自分のフィルターを通して見てる
同じ想いだと思ってしまうと
歪みに気が付かず、あとから傷つく

 

では恋を叶えるとはどんな状況?
それは恋を卒業することなのかもしれない

 

一緒に愛をはぐくむと決めた二人は
その恋心が薄れていったとしても
都度コミュニケーションすることで
愛を育てていく

 

異なる環境で育つ二人に
初めから心安らぐ愛があるわけなく
二人で育てた感情だけを積み重ねる

 

単に一緒に生活することだけでは
愛は育めない

 

子供がいれば
子供への普遍的な愛があるから
ついこの家に愛があると思って

 

夫婦で育む愛は
手抜きになってしまう

 

くたくたになるまで仕事を頑張るのは家族の為
家族を支える愛は伝わっている・・・つもり

 

仕事に家事に育児にお互い忙しく
のめり込んでいる間に

 

手を抜かれた夫婦の愛がひずんでいく


恋を叶えたはずの二人

夫婦として向き合ってもらえないのは
仕事のせい
実家のせい
・・・一番苦しいのは、私のせいだと思う事

 


誰の何かのせいではない

 

人は変わっていく
不変なものなどなく

変わっていくことでしか前に進めない

 

その相手の小さな変化に
お互いが気付く

 

そしてどんな変化であっても
相手の事はすべてそのまま受け入れる事だけが
大きな愛を育める

 


愛は言葉で伝えて伝わるものではないのかもしれない

 

相手は自分の思うように変えられないから
お互いに気に入らないところを指摘して
変えようとしてしまうと
ついケンカになる

 

考え方も何もかも似ていて非なる
そのままの相手を尊重して受け入れる覚悟


例え変わっていったとしても
貴方の思う事ならきっと何でも大丈夫
そう思えるくらいのリスペクト

 

結婚ってそういう事なんだと思った

 

決して「我慢だけ」なんてことじゃない
我慢なんてしちゃいけないのだ


そして変わることによって
その想いが無くなるくらいなら
終わらせたらいいだけの事

 

 

 

相手が見てくれない
そう思うなら
それは自分を映す鏡のように

何か気が付いていないことがあるのかも

 

気が付く事こそ、愛なんじゃないかと思うのです

 

 


誰にも教わることが無い
夫婦関係の作り方
愛情の育て方

 

みんながちゃんと考えられる機会があって
リスペクトのある人と一緒になれば
離婚率だって下がりそうなものなのにね?

 

と、3度結婚した私が言ってみる(笑)
でも結婚は何度リセットしたっていい
次はもっと欲しい愛が手に入るよ!

 

 

夫婦だけでない
人との関係を育てることは全て

 

相手をよく見て気が付く
すべてを一旦受け入れる

善悪なんてまるで関係ない次元から
まるっと受け入れる覚悟がある

 

そんな相手なら
うまくいくんじゃないかと
そんな風に思うようになりました

 

むしろそういう
リスペクトのない関係だったら
紡がなくて捨ててよし!w

幸せだなー♪って私が思うコツw

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その行動の先にある誰かの笑顔を思う

 

これは私の座右の銘的なモノかもw

実際の仕事でも、主婦としてでも

そしてひとりの女性としても・・・

 

 

いつも周りの人に興味を持ち

喜んでくれるといいな

というスタンスで関わる

 

誰かのために

なんていうとキレイごとに聞こえるかもね

 

だけど自分の為だけだったら

人はそれ程、力を発揮できないのではないかと思う

 

そして喜ぶのが自分だけっていうのもね(笑)

いつも誰かと共に喜びたい

 

 

・こんな事したらみんなの役に立って喜ばれるカモ

・このやり方だとみんな楽しくやれるカモ

・こうすればみんなの持つチカラを引き出せるカモ

 

こんなこと考えながら働けるなんて幸せだよね

 

人の機嫌の良しあしは

周りに与える影響が大きいから

 

イライラしたり、落ち込んでばかりはやっぱりイヤ

充実したHappyな空気にしたい

 

 

で、

一番大事な事は「結果に執着しない」事なのかも

 

と、最近思うのです。

 

誰かの笑顔を思って働いても

笑顔にならないかもしれない

 

その人の選択は私には決められないから

どう判断されるか分からない

 

分からないものに囚われ過ぎて

悲しくなっても意味がないかな

 

その仕事の過程が楽しめたならそれでよし!

幸せは結果ではなく、その過程にある気がする

 

勿論上手くいかなかったら

別のアプローチを考えてまた進めていくけれど

そのうち上手くいくから大丈夫(*^-^*)

 

そんなパワーのある人になりたいなーって思う

 

そして自分の機嫌も

周りに振りまくのだから

考え方ひとつで、自分をまず盛り上げていこう

 

 

上から私に求められるのは

もっと厳しく統率しなくちゃなめられるよ!

だったんだけど

ずっとそうじゃないよなーって思ってきた

 

理想のカタチが見えつつある

 

 

よく「引き寄せ」なんていうから

何か特殊な能力(笑)

幸運をどんどん引っ張らないといけないイメージ

 

でも本当はすべての答えは

既に自分が持っていて「引き寄せ済」♪

でも、今までの人生で積もった思い込みで

見えないだけなんじゃないかな

 

 

自分に大事な事だけにスポットを当てて

そうでないことに囚われないように

 

 

そして何でもかんでも

内なる閃きにはOKを出していこうと思う

 

私はすでに、大きな幸せの中にいる(*^-^*)

その中でちょっと右往左往してるだけだよwww

 

大阪人は褒めるのが苦手??

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ここのところ褒める事の大切さを実感することが多く

企業の人材育成のプログラムであったり

小学校の授業の進め方であったりで目の当たりにするので

まとめてみますね。

 

 

----今更だけどほめる事って何故大切?----

 

口先だけで御機嫌をとろうとすること

京ことばでいう「おべんちゃら」はキラワレルことが多いが

褒めるって相手をきちんと見ていなければ出来ない。

 

あなたの事をちゃんと見てるよ

素晴らしいと思うことを見つけたよ

 

というのが褒める事の中身なので

それを言われたほうは

 

存在を認めてもらったとか良い評価が貰えたという

嬉しさで元気も出るし、やる気もみなぎる。

時にそれは生きる自信にまでなる。

 

言葉でここまでコミュニケーションに効果絶大なのです。

 

人の悩みのほとんどは対人関係からだと言います。

褒めを極めると悩みは無くなるかもしれません♪

 

 

 

----なぜ今褒める事に注目するのか----

 

小学校の授業参観で強く思ったこと

 

子供がみんなの前で何か発表したとします。

その発表に「何か意見や感想は有りますか?」と

教師が手を挙げる生徒を当てます。

 

その発表のほとんどは

「声がはっきり出て聞きやすいのが良かったです」とか

「説明が工夫されてわかりやすかったです」とか・・・

素晴らしい点を挙げさせているのです。

 

例えば「聞こえなかったです!」と言った子に対して

先生は「ではいいと思ったことは有りますか」と質問することも。

 

必ず発表者を褒めるのです。

 

 

例えば企業のリーダー研修があると

部下を褒める事の大切さを教えられることも多くなっています。

カリスマ上司の恐怖政治をひくような体制が多用されたころと違い

今は和気あいあいとやる気に満ちた体制を作ることを言われると思います。

 

 

 

----大阪人は褒めることが苦手?----

 

私の体感と考察なのですが、大阪で生まれ育った私

何せ環境的には何をとっても笑いに変えるトレーニングのような

会話で成長します。本当ですw

因みに「なんでやねんっ!」は相手の意見を全否定する言葉です。。。

 

例えば時には人をけなしたり落としたりして笑いに変えるのです。

 

褒める事全般をおべっか、機嫌取りの様に扱い

言われた方も「そんな調子ええこと言わんでも分かっとるわ!」

なんて返し、ストレートに受け取れないことが多い。

 

笑い優先で素直な言葉は慣れないから苦手かもw

笑いはそれで素晴らしい効果もあるし元気にもなる。

でもその会話のウラで嫌な気持ちになる人もいるんですよね。

大阪大好きですしその場にいれば少しは慣れますけどねっ(^_-)-☆

 

色んな地域の人と会話する機会が増えるたび

ストレートにほめられても受け取れない私だったし

そもそも褒められることがほぼ無かったw

 

大阪人と過去2回結婚してウエディングドレス着ましたが

元旦那にキレイだとは言って貰えなかったなぁ・・・これもマジですw

 

 

 

----まとめ----

 

小学生はすでに毎日の授業でトレーニングしていますw

時代の流れでもあります。コミュニケーションは驚くほど円滑になります。

 

「ほめ力」のトレーニング

仲良くやっていきたい人に対して、いいなと思うことを口にしていきましょう。

一日一回は誰かを褒める

 

関係ない人で練習するのもいい

ご飯食べたお店の人に「美味しかった!」

対応した店員さんに「笑顔がいいですね」とかもアリ。

 

褒めるって楽しいです。笑顔が返ってきますもん。

こんな当たり前の事、大阪にいる時には気が付かなかった。

環境の変化で気が付くことも多いですね。

それぞれに良いところがあるし。

 

ほめ力を鍛えるこんなグッズもあるんです。

 

 

 

今日からアナタも意識してみませんか?笑顔が増える事請け合いです♪

憧れはおひさま育ち

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おひさま育ちは私の憧れだった。

 

 

親にひどい言葉を浴びせられ続けて(今思い出しても吐きそう)

自分のことが大嫌いになり

貧乏で、希望も持てず、憧れに近づく術さえ知らずに育った私。

 

自分が大嫌いで、自分の自分への扱いが酷いので

周りからも大事にされない。小中学校でのひどいイジメ。

初めの結婚はDVに悩み、その後ブラックな会社でこき使われたり

身も心もボロボロになっていた。

 

 

 

母とは数年前、自分の誕生日に決死の思いで私からメールを書き、

幼少期辛かったことをぶちまけ、それでも育ててくれたこと

酷い言葉も子供の為だと思っていたんだろう事、

子供の尊厳などない、そういう時代だったんだろう事などを話して、

感謝を綴ったことによって和解しました。

我が子に同じ言葉が降りかからないようにという願いもあって。

 

自分の手でトラウマを取り出して昇華させる

(まだ出来ていないのかもしれないが)

結構頑張ったなーって思います。←わたしエライ!!笑

 

親の育った背景、バックボーン、時代を思えば

様々な事を理解することができるかもしれません。

(でも出来なくてもいいとおもう)

 

 

 

陽の光を常に浴びて真っ直ぐに育ったような人には

こういう影の匂いがない。

考え方も素直で、人を変に構えてみない、精神的にも強い人

そう思い込んでいた。

 

でも、みんな上手に隠してるんだなと分かるようになった。

誰しも大なり小なり深い傷は有るものなのだ。

自分だけが特別ではないと、きちんと理解するようになった。

時代という名のバックボーンの影響は結構大きい。

日本に生まれたので、まだましな方だけどね。

 

今の子供の魂と、私たちの親世代の魂

個人差も大きくあるにせよ、かなりレベルの違いを感じさせる。

子供たちの魂のレベルはかなり高いと思う。

 

 

こうして生まれ変わるたびに、いろんな経験を重ねて磨かれた魂が

全体に還り・・・またそれをもって生まれてくる。

魂のレベルは登り続ける・・・

昔の人なら出来た残虐な戦争も、今の日本人の魂ではきっと出来ない。

 

 

自分に与えられた魂を磨く。これが生きる意味。

辛い事を乗り越えたからこそわかる、楽しい幸せな経験を沢山積み上げて

キラキラにして全体に還すため、もっともっと幸せを実感しなければ。

辛い事ばかりでどんよりした魂を還せば

次の世代に辛い宿題を残してしまうから。

 

もう充分に苦労も辛い事も経験した私たちは

もっと楽しんでいい、もっと喜んでいいんだよ。

それが今からの課題。自分で自分にかけたブレーキを外していく。

 

辛い経験を、昇華させる作業を

感情はこもらなくてもいいから、作業としてやってみる。

私は母に対してだったけど、人によって違うと思います。

 

恨みや憎しみは、自分しか傷つけないから。

自分の為に手放すと考える。

過去私にひどいことした人全員、私はすでに心の底から恨んではいない。

ここまで来れたら、気持ちがかなり楽になりました。

 

 

あとはもう、幸せになるしかないのだから・・・・・

 

 

おひさま育ちに、私も見えるのかな?

そうでないなら・・・

絶望の淵に咲く一輪の花になりたい

 

これからはメンタルケアに時代は向いていくと思っています。

親子関係を全力でひも解いてみる

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前置き

全力・・・なので長いです(^_^;)

 

 

 

 

親はいつも子供が危険にさらされることのないように守る意味で、自分が経験したことのない事には不安を感じて全力全身で否定する。

 

もちろん意地悪でもなんでもなく、子供の安全最優先で守りたい一心で。私たちは誰でも、こうした親の刷り込みがある。

 

 

 

子供は大人になり自分の人生を歩むときこの刷り込みに気が付けば、世界を広げていくことができる。実は誰からも、禁止されていることなど何もなく自分の良心に従って、何をしてもいいのだと。

 

〇〇するのはいけない事

 

こういう刷り込みはとても多く細部にまであって、私自身も勿論、まだ気が付かないでダメな事だと思っていることは多くある。

 

「刷り込み」という言葉に抵抗があれば「価値観を受け継ぐ」でもいい。

両親、祖父母、学校の先生、近所に住む大人、みんな影響を受けている。

 

人の物差しで生きるのは楽だ。

上手くいかなかったら人のせいに出来る。でも楽しくない。「最近何も楽しいことないなー」と思うなら考えてみるといいかも。

 

 

その刷り込みを、いい子のあなたは守り続けて・・・イイコト、ダメナコト 判断する自分の価値観を作っていく。でもそれって自分の範囲だけのことで、実は人類共通でも何でもない。

 

それが根底から覆される時

 

今までダメな事だと抑え込んできたこと、心を削る想いで守ってきたこと

 

全てが無になってしまうことは恐怖でしかなく

 

新しい価値観に飛び込むことは本当に勇気がいる事なのだ。

 

 

 

本当に親として

子供が素晴らしい人生を楽しめるようにと考えたら

どんなことも禁止せず、口を出さず、自分の子供をひたすら信頼し

いつも見ていることしかできないのだと思う。

 

出来る限り、心の範囲を広く保ち、新しい価値観に飛び込めることこれが人生を楽しめるコツなんだと私の経験から思ったのでね。

 

 

「親」という漢字そのままに立って木のかげなら、ただ見る事

 

あの子なら、大丈夫

 

という信念のもとに、ただ見守ることの難しさ。

 

 

そして子供の可能性の範囲をついつい狭めないようにするには、親自身も禁止の枠を超えて

自分の可能性を広げていくことを見せていける、自分の人生を楽しむことが大切なのだと思うのです。

 

 

 

私は子供が学校を休みたいと言ったとき、休ませます。そして、理由を聞く。

 

そこから、私の思う休んで良かったことと休まないほうが良かったこと

両面の話をします。

 

あとは、どう過ごすか、明日どうするのか、子供が決めていきます。

 

 

 

でもねー

私の幼少期の刷り込みってのも結構ベッタリ張り付いてて「うぉーりゃ!なにやっとんねん!学校行かんかいっっ!!!!」と、ついつい言ってしまうこともあるwwww

 

はぁ。言ってしまったなぁ・・・・・と自分の為に美味しいコーヒーを淹れて一息つく(子供は放置ww)

 

 

うちの子は一度決めたことは人の意見なんかで変えないので(そっくり)

そのまま家に居座り「おかーさん、ごめんね。ぼく今日は無理だから」そう言って落ち着いたころに抱きついてくるのです。

 

こういう時、子供の方が魂のレベルは上なんだろうと思うw

 

 

 

私が勝手に怒っても、単にイライラを振りまくだけで自分の事はちゃんと自分で決めていて、例え子供相手でも、私の価値観で動かすことは出来ません。

 

やっぱり見てやるだけなんだなーって、そうしてより強く思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

この文章を、親として、子の立場として読んでみて自分で自分を縛り続けていることに気持ちを向けてみるのはいかがでしょう。

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとう!あなたに幸運がいーっぱい訪れますように☆彡