最悪だぁ・・・はっΣ(・ω・ノ)ノ!
うわー!最悪!
これって口癖で結構言ってるとわかってから「もっとも悪い?んなことないよーwww」って言いなおす。
最近の、私と小学生息子のマイブームです。
例えば干していたキノコを部屋にぶちまけた!!
とっさに「うわーーー!最悪!」と言ってしまう。「最悪?ま、拾えばいいだけじゃん。キノコで良かったー。」と言い直す。牛乳こぼしたときは「最悪!」ってうか?といって、息子と笑い合う。
息子もゲームのことで「わー、最悪やー!!」とか言ってる。
最悪なん?て聞いたら「勝てなかったーーー!くやしいー!」データが全部消えたくらいの時「最悪!」っていうかwww
こういう言葉遊びで楽しんでマイナスが過ぎるちょっともったいない口癖を変える。
このゲーム、もちろん「最悪」を呼ばないのですごくいいんだけどなにより面白い。
そしてだんだん、牛乳こぼしても、ゲームのデータが全部消えても(笑)さいあくって言わなくなるくらいになるとみているw
ポイントは普段の自分の言葉に気が付く事。
「こんな素敵な日々になる」と決めたことに自然に近づくおもしろゲーム♪
幸せ探し、していませんか?
幸せになりたーい♪ どうすれば幸せになれるだろう(*^^*)
なんて思っていませんか?
私は30代のほとんどをこう思って過ごしていました。
幸せは探し出すと、途端に見つからなくなるもの
幸せになりたいって事は・・・現状、幸せでないって事宣言してるよね?
と、ある人に言われたのです。
確かにそうでした。
こう宣言していると、そのような現実になる。言霊のちからで。
これではいつまでたっても幸せになれないって事になってしまいます。
幸せになりたい!っと思っている現実になります。。。
こうしたほうが幸せかな?これを選んだら幸せかな?って思っていると
少しでも違っていると幸せじゃなくなってしまうんです。
幸せになれる方を選ぶってことをやっていると、間違えたかも?っていう思いを常に持ち続けることになってしまうのです。
あの頃は幸せだったのだなぁ
あとになってからあの頃は幸せだったと思うことがあります。
私が幸せになりたいと思っていた30代の頃も、今思えば紆余曲折ありながら素敵な事もいっぱいある幸せな日々であったと思います。そしてもちろんそれは今も♪
そう。今もうすでに幸せなのです。あなたも望む通りの人生を生きているのです。
幸せって何でしょう。具体的に即答できる人は少ないかも。
幸せってある日突然降ってくるキラキラした思いでもなんでもなくて、日々自分の思いで好きなものを選んで、目指すものがあって、試行錯誤して、歩む道そのものなのかもしれませんね。
そこで思ったのです。後から幸せだったなぁと思って過ごすより、今の現状を色々あるけど幸せだなぁ。恵まれているのだなぁと思って過ごす方がずっと気分よく前向きに過ごせると思いませんか?
そう思うだけで、幸せの中を今すぐ歩いて行けるのです♪その先に、更なる幸せがあると確信しながら・・・(*^^*)
幸せの中を歩く
現状の心の状態は、目の前に起ることに大きく影響しています。貴方の心の状態が目の前の状況を作っています。(鏡の法則)
すでに幸せで、十分に恵まれている。
単なる思い込みでもないでしょう?世界の中で、たまたま日本という恵まれた国に生まれて、生活に必要なものは十分に手に入り、仕事をもって暮らしていける。これだけでも十分幸せですよね。
試しにやってみたらいいですよ。「自分ななんて恵まれて幸せなのだろう♪」と思うだけです。心の中だけの変化だと思うかもしれませんが、しっかり現状に影響があります。
幸せは探さないで、今すぐ幸せに浸ってくださいね(*^^*)
湯船につかりながら、美味しいアイスクリームを食べながら・・・だったら思いやすいかもね♪
身体よ、踊れ!(アラフィフZumba体験記)
アラフィフの私ではありますが
ダンス系は経験者です。
幼稚園児にまで半世紀近くさかのぼりw そこから小学生の間はクラシックバレエを。中学生の頃はバトントワリングのクラブ活動、高校生でジャズダンス(ふ…古)更にエアロビクスをやっていました。
その後はジム通いでちょいちょいやってた感じでしょうか。出産経験後、体力が壊滅状態に。ここ10年くらいはパワーヨガとかやってたのでダンスは・・・・・体力も落ちたしもう無理か・・・と。
でも最近!もうちょっとやっとけば良かったなぁ、なんて考えてました。
チャンスはすぐに来た
すると友人からお誘いが!
みんな私よりひと世代若いんです。でも即答で「やる!」と答えていました。(無謀)
何でもそうしたいなーって思ったらチャンスが来て、やるかやらないか即答で決める!こんな感じで何でもこなしてきたので今回も即答。
ズンバ(Zumba)
・・・・・正直なんじゃそれ?です。
ズンバ
ズンバ (ZUMBA)とは、コロンビアのダンサー兼振り付け師であるアルベルト・"ベト"・ペレズによって創作されたフィットネス・プログラムの名称である。
主にラテン音楽 (クンビア、サルサ、メレンゲ、マンボ、チャチャ、レゲトン、ソカ、サンバ、アシェ,ミロンガ)などによってエクササイズが行われるが、これにヒップホップ やフラメンコ、タンゴ、ベリーダンス、ボリウッド (インド舞踊)などが加わる。さらに2016年からは JPOPが追加された。エアロビクスなどのその他のフィットネス、エクササイズプログラムに比べて、ダンスステップを基本としており、クラブなどでの「実用性」にも富み、それが昨今の人気に繋がっていると見る向きもある。 ズンバは、コロンビアで使用されるスペイン語では「早い動きで楽しむ(お祭り騒ぎ・バカ騒ぎ)」[1]を意味している。
ということで、何でもありのお祭り騒ぎ♪楽しそうだー!とテンションが上がった私w
これは命の危険かも!?w
早速、お試しレッスンへ
皆さんすでに集まっていて各自でストレッチやってました・・・
「先生来たら即始まって、みず飲む以外ノンストップだよー^^」
(小さく)ひぇー。
慌ててアキレス腱とか伸ばしてみる。「いっちにーさんしー・・・」「うっ・・・」
この硬さ、すでにヤバい雰囲気である。。。
先生が来て明るくご挨拶♪・・・カッコいい・・・♪そして若い・・・♪w
スタジオに入って即音楽が。テキトウニ後ろの方に陣取ってw
始まってすぐ・・・うわぁぁぁ!!!めっちゃ楽しい!!!
10分で滝の汗、そして息切れ・・・
30分くらい・・・ヤバい!膝に来た!・・・・少し加減して・・・持つかな・・・
ラスト10分ほどかな?って所で足がつりそうになる!勝手に少し足を延ばす動きを入れて・・・お!?ちょっと治まってきた・・・
その直後にストレッチが入ったので丁度良く、上手く足のツリもごまかせて
何とか終了!!!
途中何度か、命の危機を感じたがwww
楽しくて、出来なくて笑いが起こりっぱなし。
終わって先生に「どうでした~?」って聞かれたとき
「楽しいーーー!次も来ます!」と笑顔で即答していた。
多分・・・何とかなるw
楽しさと、体力を天秤にかけて、楽しさが勝った感じでした。体力はそのうち付くはずなので、とりあえず続けてみる事にしました♪
何といっても楽しいのと、振り写しを必死で覚えることで思考の入り込むことのない純度100%の時間が過ごせるのが最大の魅力でした。
この歳でまた出来ると思ってなかったのが嬉しい!しかも高齢者クラスでないし、カッコいいからテンションも上がるし。
高齢者の音楽健康体操みたいなんも経験あるんですよ。実はwww
昔、近所のおばちゃんに連れて行かれて。でもやっぱりカッコ良くないとテンションは上がらないのですよ。マッタリした雰囲気で、おばちゃんに囲まれてつつかれて。あれはなし。(笑)
取り敢えず楽しめる間は続けていこうと思います。もうちょっと動けるようになりたい!
嫌われるってダメな事かな?
例えばブログでいうと
この人の書く文章はものすごく好き!とか
この人の書くものは違和感があるとか
この人の文章嫌いだー(><)とか。
それって嫌われた人の問題?
実は嫌いだと感じる人の問題なんですよ。という話。
嫌われるのは誰にでもあること。
強烈に嫌われる人は、強烈に好かれることも多い。降り幅が大きいってことかな。
嫌われない人って無難な道を真っ直ぐ生きていて強烈に好かれることも少ないと思う。好かれないけど嫌われないという感じ。
降り幅の大きい人でも小さい人でもどっちでも本人が気分良くいられるほうを選べばいい。
わたしはきっと子供の頃から降り幅が大きい!!笑
ある人にはむちゃくちゃ嫌われるけど、気に入ってくれる人も結構いる。
自分でなんでもやってみてでないと決められないので、無難な道を歩き損ねたらしい。
でもそれが自分で気に入っているのです。
人を嫌う原因はなに?
人の印象は意外に簡単に変わるのだけど、それを即座に変えることができるのは見られる側の人ではなく見ている側の人。見るほうがその角度を変えると全く印象が変わったりする。
だから好き嫌いに関わらず、その人の印象は見る側のフィルターによるもの
「この人の〇〇が嫌い」と決める人に嫌う原因が必ずあります。
それを否定することで自分の中の価値観を必ず守っています。
例えばよくあるのは、コンプレックスがあってそれを刺激されるからとかね。
それって守る必要のある価値観なのかな?手放すと楽になるのではとも思うのです。
これが分かった時から、嫌われることへのダメージが薄くなりました。嫌われてもいい。それはある意味私の問題じゃないから。
これで嫌われることへの怖さを感じても自分ではどうすることもできないから考えないでおこう!って思えて怖くなくなりますよ♪
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ただし、人を傷つける暴言を常に吐く人とか原因がはっきりしていて嫌われるのは
まあ、あまりないと思うけど自業自得かな(笑)
その場合は嫌われるように、人と関わりたくないと自ら遠ざけているってことですよね。
愚痴聞いてあげる・・・?の「裏話」
先日のブログで愚痴は言うとその通りの現実を連れて来るので危険!と言いました。
たまには少しくらい愚痴言う時もある
私だってあるんです。心で思うこと、ポロっと口にすることも。
でも慌てて
「わーーー!今のなし!!」
「今のは愚痴だーよくぞ気が付いた!私エライ!」
とかいって取り消します。(笑)
取り消しも実は有効だったりします。
実際に経験したこと
実は私が辞めた仕事・・・ほぼ毎日愚痴を聞く事でした。
上司の仕事ってそんなものでしょ?部下のクッション役というかサンドバッグ的な?
たっぷり聞いてから
それでいいと思うよ。ドカーンとやって大丈夫だよ!
だったらこうしたら?
わかるよ。頑張ったね!!すごい!
と言って方向性を確認することでした。
でもね、この人が愚痴を言い続けることでドンドン状況を悪くしていると思うようになったの。言霊が返ってるのを目の当たりにしたという思い。
酷い時はたっぷり2時間も愚痴を言い続けるくらいの人で、言えば言うだけその状況から抜け出せない。普段はまじめを絵にかいたような人で、仕事にも情熱がある。でも惜しいことに分かってないんです。
私を肩書きで見るので、私の助言も素直に聞けない。まあ、同年代の男性ですからそこは仕方ないという気持ちです。アドバイスも響かないようで。
愚痴を聞く機会を減らす方がいいと判断して、行くのをやめ全てお任せすることにしたのです。私も正直聞くのが・・・(笑)その後、彼は少し明るくなった印象。相変わらず悩みは尽きないようですが何とか頑張っています。
この件もあって愚痴の怖さを思い知った経験から、あのブログを書いたというわけです。
実は・・・
愚痴聞いてあげるよ!?の悪魔のささやきは私がしていたことでした。
愚痴聞いてあげる・・・?
「愚痴を聞いてあげる」は危険です!!
答えは後程・・・
そもそも愚痴を言えばスッキリ・・・するのか?
心の中に溜めているよりはいいのでしょう。心の中でずっとモヤモヤしてるのってツライ。では吐き出すことが一番いいの?答えはNO!だと思います。でもなぜか吐き出すのが一番だと言う人が多い。愚痴は吐き出すのが一番♪なんて誰が言ったんだ!的な常識だとおもう。やっぱり常識はまるごと信用してはいけない。
さらにこの答、男性と女性でも少し違うように思う。
男性脳が求めるものは常に解決で
女性脳が求めるものは常に共感だから。
愚痴の中身は?
ままならない自分以外の人への反応ってことじゃないでしょうか。相手は相手の人生を生きているのだから、当事者と意見が違って当たり前。同じことが出来なくて当たり前なんです。ついつい自分と同じと考えるから不満が溜まる。
最初からそこが分かっていれば愚痴が溜まる程、心が乱れずに済むかもね?
もう一つ、自分が思うようにできなかった反省点、自己嫌悪みたいなものも愚痴としては溜まるのかも。
何事も、「出来る・出来ない」ではなく「やる・やらない」で考えてみる。
目の前に起ることに出来なことはないのですよ実は。やると決めるか自分の心次第。
自分の心が定まらない時、上手くいかないー!なんて愚痴になるのかもしれませんね?
ではなぜ、愚痴を聞いてあげる♡は危険?
言霊の話をここでもしたことがあるかもしれません。
自分の発する言葉は、すべてキッチリ自分に返ってきます。
ということは、愚痴として人を罵ったり、自分のふがいなさを発表すると
そのような現状がまた目の前に現れます。ということは、状況は愚痴によって益々ひどくなることが考えられるのです。。。
やっぱり!?危険ですよね?
愚痴を聞いてあげるって勿論聞きたくないことを受け止めてくれるなんで、愛ある申し出だとは思います。しかし実は悪魔のささやきなのかもしれません。
申し出てくれる人は意図してないでしょうけど(笑)
男性が、女性に言われたのでしたら、関係性によっては
ほんのすこーし・・・弱音を吐いてみせて・・・後は・・・ なぁんてラッキーチャンスもありかも?なしかも?(笑)
女性が、男性に言われたのでしたら、
シッカリ解決方法を探してくれると思うので共感は諦めて・・・(笑)
それと愚痴を言いたくなるようなとき、飲みに行くのは逆効果かもしれませんw
しなければいけない事など何もないのだー!というちいさな一歩
↑一歩踏み出すのが怖い場所w
展望台の足元がクリアなところ...
自分の心から欲することだけをやる
「普通はそんなことできないだろう。主婦ってお気楽だねー。」って思われると予想するけど気にしない。
私は主人の実家が自営業なので、一応手伝う身分で給料も貰っていた。
それを今年からやめている。
その仕事、どうしても続けたくなかった。
「次期社長夫人」とか強烈にイヤだった(これが先日書いた漬物石バリに重かった本当の肩書き)
実際に行動を起こす
やめるのに勇気が出ない私はとりあえず自営の友人にちょこっと聞いてみたりして。
「家業を手伝わない嫁ってあり?」とか。ま、背中を押してほしかったわけでw
ある日主人に思い切って「仕事したくないんだけど」と言ってみた。
主人:「うん。行かなくていいんちゃう?別に。」
うぉぉぉぉぉーーーーー!
「古い言い伝えはまことであった」とナウシカのばば様も言っていた。←違!
思いきったらなるようになるんだなぁ♪
無理だと思い込んでいたもの。嫁だからって。
で、何やかんやで結局仕事を離れる事が出来ている現状。やった!
ま、メインの収入源ないけど。
パートにも出られないけど。(笑・・・えないか?)
お金は無くても何とかする。それより毎日朝起きるのも嫌、明日が来るのも嫌な事をしなくて良くなった幸せ。
少しリハビリして心の元気を取り戻したら始動するから今ちょっと休憩中。結構長めのw
まとめ
こうするのが当たり前
なんてことは何もないんだなぁって改めて思った出来事。他人にはきっと小さく見える一歩だけど同じ立場の人はビックリすることもあるんじゃないかな。
そして行動した人は言い訳のない自分の人生を生きられる。例えそれがはみ出る事が出来ない枠の中で生きていると思っていても。崩せない枠などないんだけど、あると安心なのかついつい自分で作ってしまうものなのかもね。