愚痴聞いてあげる・・・?の「裏話」
先日のブログで愚痴は言うとその通りの現実を連れて来るので危険!と言いました。
たまには少しくらい愚痴言う時もある
私だってあるんです。心で思うこと、ポロっと口にすることも。
でも慌てて
「わーーー!今のなし!!」
「今のは愚痴だーよくぞ気が付いた!私エライ!」
とかいって取り消します。(笑)
取り消しも実は有効だったりします。
実際に経験したこと
実は私が辞めた仕事・・・ほぼ毎日愚痴を聞く事でした。
上司の仕事ってそんなものでしょ?部下のクッション役というかサンドバッグ的な?
たっぷり聞いてから
それでいいと思うよ。ドカーンとやって大丈夫だよ!
だったらこうしたら?
わかるよ。頑張ったね!!すごい!
と言って方向性を確認することでした。
でもね、この人が愚痴を言い続けることでドンドン状況を悪くしていると思うようになったの。言霊が返ってるのを目の当たりにしたという思い。
酷い時はたっぷり2時間も愚痴を言い続けるくらいの人で、言えば言うだけその状況から抜け出せない。普段はまじめを絵にかいたような人で、仕事にも情熱がある。でも惜しいことに分かってないんです。
私を肩書きで見るので、私の助言も素直に聞けない。まあ、同年代の男性ですからそこは仕方ないという気持ちです。アドバイスも響かないようで。
愚痴を聞く機会を減らす方がいいと判断して、行くのをやめ全てお任せすることにしたのです。私も正直聞くのが・・・(笑)その後、彼は少し明るくなった印象。相変わらず悩みは尽きないようですが何とか頑張っています。
この件もあって愚痴の怖さを思い知った経験から、あのブログを書いたというわけです。
実は・・・
愚痴聞いてあげるよ!?の悪魔のささやきは私がしていたことでした。
愚痴聞いてあげる・・・?
「愚痴を聞いてあげる」は危険です!!
答えは後程・・・
そもそも愚痴を言えばスッキリ・・・するのか?
心の中に溜めているよりはいいのでしょう。心の中でずっとモヤモヤしてるのってツライ。では吐き出すことが一番いいの?答えはNO!だと思います。でもなぜか吐き出すのが一番だと言う人が多い。愚痴は吐き出すのが一番♪なんて誰が言ったんだ!的な常識だとおもう。やっぱり常識はまるごと信用してはいけない。
さらにこの答、男性と女性でも少し違うように思う。
男性脳が求めるものは常に解決で
女性脳が求めるものは常に共感だから。
愚痴の中身は?
ままならない自分以外の人への反応ってことじゃないでしょうか。相手は相手の人生を生きているのだから、当事者と意見が違って当たり前。同じことが出来なくて当たり前なんです。ついつい自分と同じと考えるから不満が溜まる。
最初からそこが分かっていれば愚痴が溜まる程、心が乱れずに済むかもね?
もう一つ、自分が思うようにできなかった反省点、自己嫌悪みたいなものも愚痴としては溜まるのかも。
何事も、「出来る・出来ない」ではなく「やる・やらない」で考えてみる。
目の前に起ることに出来なことはないのですよ実は。やると決めるか自分の心次第。
自分の心が定まらない時、上手くいかないー!なんて愚痴になるのかもしれませんね?
ではなぜ、愚痴を聞いてあげる♡は危険?
言霊の話をここでもしたことがあるかもしれません。
自分の発する言葉は、すべてキッチリ自分に返ってきます。
ということは、愚痴として人を罵ったり、自分のふがいなさを発表すると
そのような現状がまた目の前に現れます。ということは、状況は愚痴によって益々ひどくなることが考えられるのです。。。
やっぱり!?危険ですよね?
愚痴を聞いてあげるって勿論聞きたくないことを受け止めてくれるなんで、愛ある申し出だとは思います。しかし実は悪魔のささやきなのかもしれません。
申し出てくれる人は意図してないでしょうけど(笑)
男性が、女性に言われたのでしたら、関係性によっては
ほんのすこーし・・・弱音を吐いてみせて・・・後は・・・ なぁんてラッキーチャンスもありかも?なしかも?(笑)
女性が、男性に言われたのでしたら、
シッカリ解決方法を探してくれると思うので共感は諦めて・・・(笑)
それと愚痴を言いたくなるようなとき、飲みに行くのは逆効果かもしれませんw
しなければいけない事など何もないのだー!というちいさな一歩
↑一歩踏み出すのが怖い場所w
展望台の足元がクリアなところ...
自分の心から欲することだけをやる
「普通はそんなことできないだろう。主婦ってお気楽だねー。」って思われると予想するけど気にしない。
私は主人の実家が自営業なので、一応手伝う身分で給料も貰っていた。
それを今年からやめている。
その仕事、どうしても続けたくなかった。
「次期社長夫人」とか強烈にイヤだった(これが先日書いた漬物石バリに重かった本当の肩書き)
実際に行動を起こす
やめるのに勇気が出ない私はとりあえず自営の友人にちょこっと聞いてみたりして。
「家業を手伝わない嫁ってあり?」とか。ま、背中を押してほしかったわけでw
ある日主人に思い切って「仕事したくないんだけど」と言ってみた。
主人:「うん。行かなくていいんちゃう?別に。」
うぉぉぉぉぉーーーーー!
「古い言い伝えはまことであった」とナウシカのばば様も言っていた。←違!
思いきったらなるようになるんだなぁ♪
無理だと思い込んでいたもの。嫁だからって。
で、何やかんやで結局仕事を離れる事が出来ている現状。やった!
ま、メインの収入源ないけど。
パートにも出られないけど。(笑・・・えないか?)
お金は無くても何とかする。それより毎日朝起きるのも嫌、明日が来るのも嫌な事をしなくて良くなった幸せ。
少しリハビリして心の元気を取り戻したら始動するから今ちょっと休憩中。結構長めのw
まとめ
こうするのが当たり前
なんてことは何もないんだなぁって改めて思った出来事。他人にはきっと小さく見える一歩だけど同じ立場の人はビックリすることもあるんじゃないかな。
そして行動した人は言い訳のない自分の人生を生きられる。例えそれがはみ出る事が出来ない枠の中で生きていると思っていても。崩せない枠などないんだけど、あると安心なのかついつい自分で作ってしまうものなのかもね。
憧れはスリムでセクシーなbodyなのにミントチョコがやめられなかった話
40代後半以上の皆様ならわかる?
レベッカ時代のNOKKOがこのタイトルの歌詞を歌っていました。
私この歌を口ずさみながら、ミントチョコ食べるぽっちゃり女子高生でした。
今日はこのなんてことない事について考察していきます。
痩せて綺麗な私とミントチョコを貪る私
先の憧れ話より今の楽しさ。この二つはまず時間軸が違う。
スリムでセクシーな・・・になったところでどうなるかすらわからない先の話。
昔は今ほどミントチョコなんて売ってなくて、わざわざソニプラとかの輸入菓子コーナーで探してまでミントチョコ。そんなチョコ一つなのにわざわざ探して買いに行き、歌と同じものを食べるばかばかしい様な満足感、達成感。そんなものにハマっていた。だって楽しかったんだよw
当時からバイク乗りだったけど、さすがに盗んだバイクでは走り出さなkあ&”・・・(←当たり前)
こうなりたい!と思っていても、つい真逆のことをしてしまう時
ダイエットの話で言えば
まずは痩せて綺麗(カッコいい)な自分をイメージできないと痩せることは出来ないそうで、私の母に聞くと速攻で「出来ない!」という返事が。納得。
当時の私は自己評価が極端に低かった。
なので少々瘦せたところでセクシーとも言い難くそんな魅力は皆無、似合わないから化粧もしない。ボーイズライクを好んでいたので、憧れは有っても自分がそうなるイメージなど全くできなかった。こうなりたい!が現状からあまりにも遠い場合、そうなるイメージが出来ず手軽なミントチョコを手に入れることで満足してしまっていた。
まとめ
こんなところから私の自己考察はスタートしているが、色んな事に当てはめて考えやすいと思ったの。逆に言えばこんな人もちゃんと自分の望む状態を手に入れていて、こうなりたい!を叶えていくことができるのです。
そうしたいと思っても、ついつい逆のことしてるよなぁって時はまず、なりたいイメージを固めるところから始めるのがいいのかもしれない。本やネットで調べたり、今ならいくらでも方法がある。
イメージが決まったらあとは思いっきり流されていくのがいい気がします。
イメージってホント大切。いい気分でいいイメージを持ち続けないと思わないほうへ流されてしまうので思う方に意図して流されよう。
今日は文章を分けて書いてみた。こっちの方が読みやすいのかな。キーワードを作りやすいのかな。試行錯誤の日々
なんの肩書きもない人の価値(何となく心が重い人へ)
例えば私、一応専業主婦です。という肩書き
世の中にはいろんな肩書があるよね。専門家、社長、会社員、父、母・・・・
この肩書きを維持するために今の心に逆らうことをすると、心が荒む…なんてことはないだろうか。主婦のクセに家事をしないとだめだよ・・・みたいな。
誰もがその肩書きを維持するために、気持ちが進まないことをしなくちゃいけない?本当はそこからも人は自由に自分の生き方を自分で選んでいるはずなのだ。
望む通りの生き方をしているのに、こんなはずでは・・・と思っている人が多い。
だってどんなことにでも我慢は必要でしょ?
って聞こえてきそう。それホント?何もかもひっくるめてそういう生き方を自分が単に選んでいるだけで、そうじゃなければいけない事など何もないハズなのです。
本来の自由を少し取り戻してみる。。。
それに気が付いてすぐに生活をガラリと変えられる人はいいんだけど、自分以外の要因で出来ないと思い込んでいる人が多いと思うので・・・
誰でもすぐにでもできる事、
肩書きの外れた、何もない自分の価値をまずは自分が認めて、面白がるというのはどうだろうw
ホントは価値なんてあってないようなものだけど、肩書きに縛られすぎている人はいっぱいいて。そのための我慢が、心の中の重苦しい空気を作る元凶かなって思ってる。
社会に通用する肩書きって重たい。そりゃもう漬け物石バリにw
自分の意思とは関係なく、身動き取れなくなるようにその場に押し込まれていまうみたいに。
ならば自分で、社会に通用しない軽くて、自由で、元気になれるような面白い肩書きを作ってしまえばよくない?って考えたw
すぐにでも少し心が軽くなるかも?
日曜日のお父さんのファッションリーダー
昼寝で閃くアイデアの宝庫
庭先アウトドア専門家
うーん、役に立つのか立たないのか・・・なのが素敵だー(笑) (一部私の事)
自撮り棒フォトグラファー
自分の子供フォトグラファー
ひとりカフェ飯シェフ
自分の事ばっか! 自由すぎるwww (一部私の事)
心だけの旅人
目指せ読者10人!カリスマ妄想ブロガー
夢ちっさ!www (私の事?)
などと下らぬことをツラツラ述べた私ですが、自分の肩書をとりあえず
「クリエイティブな半ニートかあちゃん」
とでもしておこうかとw
何がクリエイティブなのかは・・・ナイショw
皆さんもいかが?いいの閃いたら私にもコッソリ教えてくだされ。(*´艸`*)
上の肩書き、使いたい人もどうぞご自由にw(面白いから要報告で)
困難に立ち向かう姿勢って
人生を、どんな状況でも楽しむ視点を持つ人が好き。困難も深刻にならず軽く飛び越えていこう。
私たちのこの世を采配しているかみさまとやらは、深刻さをどうやら嫌うらしいよ?
困難に立ち向かうとき
それって困難なの?
なんて考えて・・・ん?違うかも?
そうきたか!さーて、どうしてやろうか?なんて・・・腕組みしながらニヤニヤする。一見ふざけてるのかと思うくらいが丁度いい。
困難なんてそもそも本当は無くて、立ち向かうとか乗り越えるとかも違うのかもしれないと最近は思うことが多い。
人生に於いて
その人に越えられない高さの壁は
目の前に絶対に来ないんだって
この言葉に何度も応援されて乗り越える達成感を味わったりしたけど
いやいや、そうではないみたい?もっと軽い気持ちでいいんだって。
なんて思っていたら人生の壁、来ないかなーとか待ってたりw
そういえばあったわ。今まさに!
突然!
毎月必ずあった収入が0になる試練が来てた(笑)
なんとかなるか?
貯金もないけど!(笑)
何となくだけど丁度足りるんじゃないかって無理矢理思うことにした。
お金の使い方を学ぶ時だと思った。
本当に絶対に欲しいものだけに囲まれると、幸せを感じるレベルが上がる。
ま、この辺でいっかな?
理想に近いかな?
くらいの妥協した買い物が多い気がするの。
節約とか我慢とかは違うと思うので、心の底から欲しいのかどうかで判断するゲームをしていきたいと思います。
あとお金の使い方で言うと
お金は応援チケットのように使うのがいい
と教わった事があって、最近この言葉が、財布を開くたびに飛び込んでくる仕様にw
イイでしょ?(笑)
この人を応援・・・
この物を作った人に感謝をこめて・・・
そういうものにお金を使う。これで無駄な買い物にはなりようがない・・・はずw
それだけじゃない
買い物をしてしまったー!みたいな罪悪感ってない?私はたまにある。いや、あった(笑)
そんなのも無くなるはずなんだよ。応援してるんだからね。
よし、意識してやってみっか♪
軽く干したキノコは本当に旨い!と主張する不良主婦の話
私は日ごろから、キノコは2時間でも干してから使うべし!と思っていて干してみると分かるのだけどシャキシャキ、イキイキするのよ。香りも立つ♪
冷蔵庫で1週間放りっぱなしにしていたキノコでも復活するよ。
このように日頃頂く食材にはそれを生かすポイントっていうかそれぞれに「こうして食べて!」みたいなアピールポイントがある気がするwwっていうと変かな?
野菜も干すのはとてもいい。うまみが増す。
完全保存食みたいにカリカリに干すのではなく日光浴させてあげる感じ。
そして弱い火でじっくり火を通すと甘味がすごくて、調味料もわずかでいい。
このじっくり火を通すだけの調理法で、うちの子供はピーマンも人参も大好きになった。
日に干すって太陽のエネルギーが入るっていう感じで生命力が増すのかも。
食べているものは基本命あるもの。
あまり複雑に調理してしまうよりシンプルにその味を楽しむ方が好き。
トマトは何故か50℃ほどのお湯につけてじっくり洗ってやると甘味が増す。
きゅうりはツヤツヤになる。これも細胞の力が復活するやり方なんだそう。
野菜は日光やお湯やらで元気にしてから軽く調理していただくのがいいみたい。
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こうして私は料理へのテンションをあげるw
毎日ご飯を作ることって、命を繋ぐのに必要なんだけどどうしても「やってあげてる感」が出てしまうと思っているのは私だけ?
日々、手間のかかる料理をして、食べてくれる人が喜んでくれるかというと結構な確率で空振りになる。それでも世の中の主婦は栄養が・・・とか体の為に・・・とかでモチベーションを上げて作り続ける。食べ手への愛だ。
なのに淡々と食べていたり、文句言われたり、残されたり、要らないって食べてもらえなかったりすると泣ける。片思いじゃん。
なのでそういうのはずーーーっと昔に、辞めていた。
生クリームなどを使わない本来のカルボナーラ・・・ってのが食べたくて作ってみた。絶品!
自分の興味の為に、実験のようにご飯を作る。自分の好みで作る。あと、子供のリクエストがあればとか。自分を満足させるために作ることにしたら気持ちが軽くなった。。
ってか、料理が面白くなったの。たぶん私かなり料理上手だと思うんだけど(自画自賛、大爆発!w)
クックパッドなどの料理サイトが流行る要因もそこなんじゃないかな。家族は思うほど褒めてくれなくても、そのレシピを誰かが絶賛してくれる!みたいな。
気が乗らないときは作らないことも自分に許すことにしている。
主婦の完全休業日は自分で作る。しかも結構頻繁にwww
だから私は日ごろから不良主婦なんですよね。(笑)